白い
明治十年の二月だった。
時の明治政府へ、
「
と唱うる
「百難道をさえぎるとも!」
と、決死の誓の下に、上京の目的を抱いて、すでに鹿児島を立っていたのである。
が、この熊本には、官の鎮台がある。彼等の通過をゆるすべきか
「たとえ陸軍大将であろうと、西郷はすでに閑職の人である。のみならず私兵を組織し、純然たる軍備をもって上京するなど、由々しい国憲の違反だ。正当な下意上達とは認められん」
というに一致していた。
また、――箇々の感情としては、
「薩南の健児に血があるというなら、熊本の男児にも鉄石の心胆がある。憂国の赤心は、彼のみのものではない」
とも云って、各

――こうした中に、熊本の町は、十八日の
「お支度はできましたか。もうやがて七時に近うございましょう」
もう数日前から市民はあらかた避難し尽している。この宵、人声の聞えたのは、鎮台将校の官舎となっている士族町だけだった。
「お宅様も、お片づきですか」
「はい。まるで旅立ちのように」
今日、鎮台からの達しには――
婦女子、老幼、病人等ハ可相成 ハ、近郷ノ縁類ヘ避難サレタシ。唯、ヤムナキ事情ノ者ト、倶 ニ死ヲ厭 ワザル家族ノミハ、今夕七時迄ニ鎮台内ニ引揚ゲラルベシ
と、あった。鎮台の軍議は、籠城と決定らしい。良人の方針を見とどけないうちはと、将校たちの夫人は、最後まで家庭に踏み止まっていたのである。そしてわずか半日の間に、各

「もう心残りはない。後は、良人と共に」
と、心のひとつな婦人ばかりが結束して、
その中に、鎮台司令官の夫人、
玖満子は、自分の
「おや、
と自身で、少し先の門まで、様子を見に行った。
第十三聯隊長の
「
と、
「だいじょうぶです。武人の子ですから、胎内にいるうちに、大砲の音を聞かせておくのもよいことです。籠城中の良人もまた、いつ戦死なされるか知れませんし、誕生の時、一目でもお見せできたら、父も子どもも、どんなに満足か知れますまい」
そういって
けれど、何といっても身重なので、支度に暇がかかったとみえる。
――玖満子が、門前から声をかけると、
「はいただ今、妹に
と、玄関のあたりで、返辞が聞えた。そして間もなく、
「お待たせいたしました」
と、妹の
城の近くまで来ると、
城内の一廓には、彼女たち以外の婦人や将士の家族もたくさん引揚げて来ていた。広い床に
「これからは、お城中が一家族ですね」
「たいへんな大世帯ですこと。どうぞよろしゅうお指図くださいませ」
何か冗談のようでさえあった。お互いに心を明るくするように努めているのかも知れない。和やかな笑いが急に増した。