パノラマ島綺譚(パノラマとうきだん)

 随って彼は、先に挙げた様な数々のユートピヤ物語よりは、それらの架空的な文字の遊戯よりは、もっと実際的な、その内のあるものはある程度まで彼と同じ理想を実現したかに見える、古来の帝王達の――主として暴君達の――華々しい業蹟ぎょうせきに、幾層倍も惹きつけられるのでありました。例えばエジプトのピラミット[#「ピラミット」はママ]、スフィンクス、ギリシャ、ローマの城郭的じょうかくてきな或は宗教的な大都市、支那では万里の長城、阿房宮、日本では飛鳥あすか朝以来の仏教的大建築物、金閣寺銀閣寺、単にそれらの建設物ではなくて、それを創造した英雄達のユートピヤ的な心事を想像する時、人見廣介の胸はおどるのでありました。
「若し我に巨万の富を与えるならば」
 これはあるユートピヤ作者の使用した著書の表題でありますが、人見廣介も又、常に同じ歎声たんせいもらすのでした。
「若しおれが使い切れぬ程の大金を手に入れることが出来たらばなあ。ず広大な地所を買入れて、それはどこにすればいいだろう。数百数千の人をえきして、日頃俺の考えている地上の楽園、美の国、夢の国を作り出して見せるのだがなあ」
 それにはああして、こうしてと、空想し出すと際限なく、いつも頭の中で、完全に彼の理想郷をこしらえて了わないでは気が済まぬのでした。
 併し気がつけば、夢中で拵えていたものは、ただ白昼の夢、空中の楼閣ろうかくに過ぎなくて、現実の彼は、見るも哀れな、その日のパンにも困っている、一介の貧乏書生でしかないのです。そして、彼の腕前では、仮令一生を棒に振って、力限りこん限り、働き通して見た所で、たった数万円の金さえ、蓄積することは出来そうもないのでありました。
 所詮しょせん彼は「夢見る男」でありました。一生涯、そうして、夢の中では有頂天うちょうてんの美に酔いながら、現実の世界では、何というみじめな対照でありましょう。汚い下宿の四畳半にころがって、味気ない其日そのひ其日を送って行かねばならないのです。
 そうした男は、多く芸術にはしって、そこにせめてもの安息所を見出すものですが、何の因果か、彼には仮令芸術的傾向があったとしても、最も現実的な、今云う彼の夢想の外には、恐らくどの芸術も、彼の興味を惹く力はなく、又その才能にめぐまれてもいなかったのでした。
 彼の夢が若し実現出来るものとしたならば、それは実に、世に比類なき大事業、大芸術に相違ないのです。それ故、一度ひとたびこの夢想境を彷徨さまよった彼に取っては、世の中の如何いかなる事業も、如何なる娯楽も、さては如何なる芸術さえもが、まるで価値のない、取るに足らぬものに見えたのは、誠に無理もないことでした。
 併し、そうして凡ての事柄に興味を失った彼とても、食う為には、やっぱり多少の仕事をしない訳には行きません。それには、彼は学校を出て以来、安飜訳の下請したうけだとか、お伽噺だとか、まれには大人の小説だとかを書いて、それを方々ほうぼうの雑誌社に持込んでは、からくも其日のたつきを立てているのでした。最初の内は、それでも芸術というものに多少の興味もあり、丁度古来のユートピヤ作者達がした様にお話の形で彼の夢想を発表することにも少なからぬなぐさめを見出すことが出来ましたので、いくらか熱心にそうした仕事を続けていたのですが、ところが、彼の書くものは、飜訳は別として、創作の方は妙に雑誌社の気受けが悪いのでした。それというのが彼のは、彼自身の例の無可有郷を、色々な形式で、さい穿うがち描写するに過ぎない、謂わば一人よがりの退屈きわまる代物だったものですから、それは無理もないことと云わねばなりません。
 そんな訳で、折角せっかく気を入れて書き上げた創作などが、雑誌編輯者へんしゅうしゃに握りつぶされたことも一二度ではなく、そこへ持って来て、彼の性質が、ただ文字の遊戯などで満足するには、余りに貪婪どんらんであったものですから、小説の方では一向うだつが上らないのです。といって、それをもめて了っては、早速さっそく其日の暮しにも困るので、厭々いやいやながら、いつまでも下積み三文文士の生活を続けて行く外はないのでした。
 彼は一枚五十銭の原稿を書きながら、そして、それの暇々には、彼の夢想郷の見取図だとか、そこへ建てる建築物の設計図だとかを、何枚となく書いては破り、書いては破りしながら、彼等の夢想を思うままに実現することの出来た、古来の帝王達の事蹟を、限りなき羨望せんぼうを以て、心に思い描くのでした。


 さて御話というのは、人見廣介がその様な状態で生き甲斐がいのない其日其日を送っている所へ、ある日のこと、それは先に云った例の離れ島の大土工が始まる一年ばかり前に当るのですが、実にすばらしい幸運が舞い込んで来たことから始まるのです。それは一口に幸運などという言葉では云い尽せない程、奇怪至極しごくな、むしろ恐るべき、それでいてお伽噺にも似た蠱惑こわくを伴う所の、ある事柄でありました。彼はその吉報(?)に接して、やがてある事に思い当ると、恐らく何人なんぴとも嘗て経験したことのない不思議な歓喜をあじわい、そしてその次の刹那せつなには、彼自身の考えの余りの恐しさに、歯の根も合わぬ程の戦慄を覚えたのであります。