彼のオートバイ、彼女の島(かれのオートバイ、かのじょのしま)

ほんとにきみが欲しいんだ、ほんとに
きみが必要だ、ベイビー、神にきいてくれてもいい
きみなしではリアルになれない
ああ、どうしたらいいだろう

きみのおかげでリアルになれる
きみのおかげで恋人のような気持ちになれる
まちがったみじめな気持ちもきみのおかげで捨て去ることができる
恋人よ、きみはぼくをフリーにしてくれる

きみのおかげでリアルになれる
そんな力を持っているのはきみだけ
だからぼくはきみの海のなかにすべりこみたい
恋人よ、ぼくをフリーにしてくれ。
ドアーズ『ユー・メイク・ミー・リアル』
[#改丁]


 カワサキのオートバイにまたがって、ぼくは、にぎりめしを食べていた。
 サイド・スタンドが雑草をまきこみ、土の中にすこしめりこんでいた。
 かたむいたオートバイのシートに腰をのせ、重いブーツをはいた左足を地面につき、右足は、ステップに軽く置いていた。
 高原の涼しい風が、いろんな方向から吹きぬけた。
 遠く浅間山あさまやまのうしろに、入道雲がそびえはじめていた。空は、まっ青だ。
 浅間のずっと左手に、菅平すがだいらが一望できた。
 ぼくは、そのとき、千曲川ちくまがわをはさんで反対側、別所温泉べっしょおんせんの高原にいた。
 今朝、露天風呂ろてんぶろのある宿を出てすぐに、ガス・ステーションの自動販売機で買ったにぎりめし。
 夏のさかりの信濃しなの。晴天の下でカワサキにまたがり、浅間の入道雲を見ながらの昼食だ。
 にぎりめし自体は、おいしくもなんともなかった。ただし、状況は素晴すばらしい。
 これでお茶があればと、ぜいたくなことを思ったとき、うしろに足音がした。
 手に持っていたにぎりめしの残りを口に押しこみ、ぼくは、ふりかえった。
 若い女のこだった。
 ふりかえったとたんに、視線が合ってしまった。とてもはにかんだような表情で、彼女は、微笑してみせた。
 ぼくは、微笑をかえせない。両方のほおが、にぎりめしで大きくふくらんでいる。
 米と梅ぼしのなかにベロがとられてしまって、ウンともスンとも言えはしない。ひとつうなずいたぼくは、必死になって、口の中のにぎりめしをんだ。
 彼女は、ぼくのほうに、歩いてきた。すんなりした体つきに、軽い足どりだった。ほどよい長さの髪に、化粧っ気のない、小麦色の顔。
 おさえた色の、オフ・ボディみたいなコットンの半袖はんそでワンピースに、ストラップのサンダル。大きな半月のかたちをした編みかごを肩にかけ、片手には、地図を折りたたんで、持っていた。
 昨日きのう、ぼくがとおってきた松本の町が、彼女のような夏の旅の女のこたちで、いっぱいだった。
「おほ」
 よお、とぼくは言おうとしたのだ。だが、口の中には、まだかなりのにぎりめしがあったので、こうなってしまった。
 ぼくのすぐそばで、彼女は、立ちどまった。そしてあごを一度だけ、くんとあげて、ぼくの「おほ」のひと言に、こたえてくれた。
 顎のさきが、かわいい。風に、彼女の髪が、軽くなびいた。
 目を細めて、彼女は、千曲川のほうを見た。
「入道雲なのね」
 きれいな声だ。張りがあって、軽くて。明るい笑顔と、なぜだか丸くかたく筋肉の張った太腿ふとももを連想させる声だ。
「わかった。あれは、浅間山だ」
 地図をながめて、彼女が言った。
 ぼくはうなずいた。うなずくと同時に、にぎりめしを飲みくだし、
「よお」
 と、あらあためて、言った。
 なぜだかとてもまぶしそうに、彼女はぼくを見た。彼女のひとみは光っていて、目もとにかなりの色気がある。
「はじめてかい」
「はじめてなの。とっても素敵すてき
 彼女は、ぼくのオートバイを見た。
「これ、なんていうの?」
 女のこは、みんな、こうだ。
 燃料タンクに、KAWASAKIと、エンブレムが入っているのに。
「オートバイ」
「きれい」
 濃紺のうこんを基調にしていて、燃料タンクだけには、さらに赤と白が使ってある。
「どこから来たの?」
「東京」
「これで?」
 と、片手をそっと、ハンドルにれた。
「そう」
 彼女は、目を閉じた。
 高原の空気を胸いっぱいに吸いこみ、しばらくとめてから、目を開き、言葉といっしょに、叫ぶように吐き出した。
「うわあ、うらやましい!」
 ビニールの竹の皮に、にぎりめしが一個、のこっていた。
「食うかい?」
 彼女は、首を振った。
「早くにすませたの。それよりも――」
 と編みかごを肩からはずした。
「お茶」
「ほんとかよ」
 ワイン色のラッカー仕上げをしたシグのボトルを、彼女は、さし出してくれた。
「ほうじ茶。つめたいの」
 おいしいお茶だった。ボトルにいっぱいあったから、遠慮えんりょなく飲んだ。
「お茶が好きなので、持って歩いてるわけ」