大和古寺風物誌(やまとこじふうぶつし)

 今となってみれば、太子の一身をもって具現されたものは大乗の悲心であった。しかし仏法が伝来したが故に太子は大乗を修得されたというだけでは何事も語らぬにひとしい。仏法を宗派的なものに限定したり、乃至は外来の思想体系として知的に対したりするとき、歴史の根本はゆがめられるのである。たとい仏法は伝来せずとも、生の凄惨な流れに身を置かれた太子は、おのずから人生苦の深みに思いを傾け、真の救済について祈念せざるをえなかったということが大事なのである。

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 十七条憲法は治世のための律法でもなく、単なる道徳訓でもない。それらの意味をふくめてはいるが、むしろ太子自身の率直な祈りの言葉なのである。私はそう解する。あるいは同族殺戮さつりくの日において民心に宿った悲痛の思いと願いを、一身にうけてあらわされたのだと申してもいいであろう。かくあれかしと衷心より念じたもうた言葉であって、その一語一語に、太子の苦悩と体験は切に宿っていると拝察される。ここに十七条中でもとくに肝要な最初の三カ条について、私は御祈りの一端になりともふれてみたいと思う。
 一にいはく、やはらぎを以て貴しとし、さかふこと無きをむねと為せ。人皆たむら有り、またさとれる者少し。これを以て、或は君父きみかぞしたがはずして隣里さととなりたがふ。しかれどもかみ和ぎ、しもむつびて、事をあげつらふにかなふときは、すなは事理ことわり自らに通ふ、何事か成らざらむ。
 二に曰く、あつく三宝を敬へ、三宝はほとけのりほふしなり、則ち四生よつのうまれつひよりところ、万国の極宗きはめのむねなり。いづれの世何の人かみのりを貴ばざる。人はなはしきものすくなし、く教ふるをもて従ひぬ。れ三宝にりまつらずば、何を以てかまがれるをたださむ。
 三に曰く、みことのりを承はりては必ず謹め、きみをば則ちあめとす。やつこらをば則ちつちとす。天おほひ地載せて、四時よつのときめぐり行き、万気よろづのしるし通ふことを得。地、天を覆はむとるときは、則ちやぶるることを致さむのみ。是を以て君のたまふときは臣承はり、上行ふときは下なびく。故に詔を承はりては必ず慎め、謹まずんばおのづからに敗れなむ。
 この三カ条は、熟読すればするほどその思慮と憂いの深さに驚嘆するのである。第一条の「以和為貴」の一句の背後には、前述のごとく蘇我氏の専横や同族間の絶えざる争いがあり、おそらく太子の切なる祈念であったのであろう。――みな仲よくせよ。人は党派を組みやすいもので、ほんとうに達者といえるものは少いのだ。里や隣人と仲たがいせず、上のものが仲よくし、下のものが睦みあって、互に和して事を論ずるなら、一切はおのずから成就するだろう。そうしたならば何事も出来ないことはあるまい。――実に当然のおしえであるが、かく述べられた太子の心底には、醜怪な政争や人間の無残な慾念よくねんが、地獄絵のごとく映じていたのでもあろうか。「以和為貴」の一語にこもる万感の思いを推察しなければならぬ。書紀に接した人はこの言葉が血涙をもってかかれたことを悟るであろう。
 さればこそ第二条において信仰の問題を示されたのである。大乗の悲心は一切を摂取して捨てない。いかなる凡俗の裡にも一抹いちまつの生命の光りを求めて、これを機縁として高きに導入せんとするのである。「人尤だ悪しきもの鮮し」と観ぜられたところに、太子の博大な悲心が偲ばれるであろう。そしてこの第二条で最も大切な一句は、冒頭の「篤敬三宝」である。太子は「篤く三宝を敬へ」と仰せられたけれど、「必ず三宝を信ぜよ」とは云われなかったのである。し律法において、一信仰を強制し、仏法を必ず信ぜよとしたならばどうであろうか。信仰はその自発性を失い、或は政治的党派性を帯びるであろう。蘇我と物部との争いはよき教訓だったに相違ない、然るに太子は「必信」でなく「篤敬」という文字を用いて、信仰をあくまで国民の自発的な求道心ぐどうしんにおかれたのであった。深い思慮というべきである。仏教伝来以後、さきには蘇我氏のことあり、また奈良朝における藤原氏の専断、更に下っては道鏡どうきょうのごとき僧すら出たのであるが、わが仏法の黎明れいめいを告げた太子の御本心はかくのごときものであった。
 ところで次の第三条、すなわち、詔勅に対するときは「承詔必謹」と、はじめて「必ず」という言葉を用いておらるる。詔勅を「篤く敬へ」とは申されなかった。至高の権威を、詔勅におかんとしたのが太子だったのである。当時これはいかなる意味をもっていたであろうか。一言で云うならば、勢力ある氏族の専横を深く危惧きぐされた上での決断であった。蘇我馬子は皇室に対しても、また太子御自身にとっても、最も血肉的に親しい外戚がいせきであり、それだけに彼一統の暴虐ぼうぎゃくを抑えることは容易ならざることだったに相違ない。太子は日々この危機の上に政事を執られたのである。武力による抑圧が、再び同族間の流血の惨事をもたらすであろうことは、太子の最も憂えられたところと拝察さるる。