痴人の愛(ちじんのあい)

私がナオミにこのことを話したのは、始めて彼女を知ってから二た月ぐらい立った時分だったでしょう。その間、私は始終、暇さえあればカフエエ・ダイヤモンドへ行って、出来るだけ彼女に親しむ機会を作ったものでした。ナオミは大変活動写真が好きでしたから、公休日には私と一緒に公園の館をのぞきに行ったり、その帰りにはちょっとした洋食屋だの、蕎麦屋そばやだのへ寄ったりしました。無口な彼女はそんな場合にもいたって言葉数が少い方で、うれしいのだかつまらないのだか、いつも大概はむっつりとしています。そのくせ私が誘うときは、決して「いや」とは云いませんでした。「ええ、行ってもいいわ」と、素直に答えて、何処へでも附いて行くのでした。
一体私をどう云う人間と思っているのか、どう云うつもりで附いて来るのか、それは分りませんでしたが、まだほんとうの子供なので、彼女は「男」と云う者に疑いの眼を向けようとしない。この「伯父さん」は好きな活動へ連れて行って、ときどき御馳走ちそうをしてくれるから、一緒に遊びに行くのだと云うだけの、極く単純な、無邪気な心持でいるのだろうと、私は想像していました。私にしたって、全く子供のお相手になり、優しい親切な「伯父さん」となる以上のことは、当時の彼女に望みもしなければ、素振りにも見せはしなかったのです。あの時分の、淡い、夢のような月日のことを考え出すと、お伽噺とぎばなしの世界にでも住んでいたようで、もう一度ああ云う罪のない二人になって見たいと、今でも私はそう思わずにはいられません。
「どうだね、ナオミちゃん、よく見えるかね?」
と、活動小屋が満員で、空いた席がない時など、うしろの方に並んで立ちながら、私はよくそんな風に云ったものです。するとナオミは、
「いいえ、ちっとも見えないわ」
と云いながら一生懸命に背伸びをして、前のお客の首と首の間から覗こうとする。
「そんなにしたって見えやしないよ。この木の上へ乗っかって、私の肩につかまって御覧」
そう云って私は、彼女を下から押し上げてやって、高い手すりの横木の上へ腰をかけさせる。彼女は両足をぶらんぶらんさせながら、片手を私の肩にあてがって、やっと満足したように、息を凝らして絵の方をつめる。
「面白いかい?」
えば、
「面白いわ」
と云うだけで、手をたたいて愉快がったり、跳び上って喜んだりするようなことはないのですが、賢い犬が遠い物音を聞き澄ましているように、黙って、悧巧そうな眼をパッチリ開いて見物している顔つきは、余程写真が好きなのだとうなずかれました。
「ナオミちゃん、お前おなかが減ってやしないか?」
そう云っても、
「いいえ、なんにもべたくない」
と云うこともありますが、減っている時は遠慮なく「ええ」と云うのが常でした。そして洋食なら洋食、お蕎麦ならお蕎麦と、尋ねられればハッキリと喰べたい物を答えました。


「ナオミちゃん、お前の顔はメリー・ピクフォードに似ているね」
と、いつのことでしたか、ちょうどその女優の映画を見てから、帰りにとある洋食屋へ寄った晩に、それが話題に上ったことがありました。
「そう」
と云って、彼女は別にうれしそうな表情もしないで、突然そんなことを云い出した私の顔を不思議そうに見ただけでしたが、
「お前はそうは思わないかね」
と、重ねて聞くと、
「似ているかどうか分らないけれど、でもみんなが私のことを混血児あいのこみたいだってそう云うわよ」
と、彼女は済まして答えるのです。
「そりゃそうだろう、第一お前の名前からして変っているもの、ナオミなんてハイカラな名前を、誰がつけたんだね」
「誰がつけたか知らないわ」
「おとっつぁんかねおッさんかね、―――」
「誰だか、―――」
「じゃあ、ナオミちゃんのお父つぁんは何の商売をしてるんだい」
「お父つぁんはもう居ないの」
「おッ母さんは?」
「おッ母さんは居るけれど、―――」
「じゃ、兄弟は?」
「兄弟は大勢あるわ、兄さんだの、姉さんだの、妹だの、―――」
それから後もこんな話はたびたび出たことがありますけれど、いつも彼女は、自分の家庭の事情を聞かれると、ちょっと不愉快な顔つきをして、言葉を濁してしまうのでした。で、一緒に遊びに行くときは大概前の日に約束をして、きめた時間に公園のベンチとか、観音様のお堂の前とかで待ち合わせることにしたものですが、彼女は決して時間を違えたり、約束をすっぽかしたりしたことはありませんでした。何かの都合で私の方が遅れたりして、「あんまり待たせ過ぎたから、もう帰ってしまったかな」と、案じながら行って見ると、矢張キチンと其処そこに待っています。そして私の姿に気が付くと、ふいと立ち上ってつかつか此方こっちへ歩いて来るのです。