痴人の愛(ちじんのあい)

ナオミの友達はよく変りました。浜田や熊谷はあれからふッつり出入りをしなくなってしまって、一と頃は例のマッカネルがお気に入りのようでしたが、間もなく彼に代った者は、デュガンと云う男でした。デュガンの次には、ユスタスと云う友達が出来ました。このユスタスと云う男は、マッカネル以上に不愉快な奴で、ナオミの御機嫌を取ることが実に上手で、一度私は、腹立ち紛れに、舞蹈会ぶとうかいの時此奴こいつなぐったことがあります。すると大変な騒ぎになって、ナオミはユスタスの加勢をして「気違い!」と云って私をののしる。私はいよいよたけり狂って、ユスタスを追い廻す。みんなが私を抱き止めて「ジョージ! ジョージ!」と大声で叫ぶ。―――私の名前は譲治ですが、西洋人は George の積りで「ジョージ」「ジョージ」と呼ぶのです。―――そんなことから、結局ユスタスは私の家へ来ないようになりましたが、同時に私も、又ナオミから新しい条件を持ち出され、それに服従することになってしまいました。
ユスタスの後にも、第二第三のユスタスが出来たことは勿論もちろんですが、今では私は、我ながら不思議に思うくらい大人しいものです。人間と云うものは一遍恐ろしい目に会うと、それが強迫観念になって、いつまでも頭に残っていると見え、私はいまだに、かつてナオミに逃げられた時の、あの恐ろしい経験を忘れることが出来ないのです。「あたしの恐ろしいことが分ったか」と、そう云った彼女の言葉が、今でも耳にこびり着いているのです。彼女の浮気と我がままとは昔から分っていたことで、その欠点を取ってしまえば彼女の値打ちもなくなってしまう。浮気な奴だ、我が儘な奴だと思えば思うほど、一層可愛かわいさが増して来て、彼女のわなに陥ってしまう。ですから私は、怒れば尚更なおさら自分の負けになることを悟っているのです。
自信がなくなると仕方がないもので、目下の私は、英語などでも到底彼女には及びません。実地に附き合っているうちに自然と上達したのでしょうが、夜会の席で婦人や紳士に愛嬌あいきょうを振りまきながら、彼女がぺらぺらまくし立てるのを聞いていると、何しろ発音は昔からうまかったのですから、変に西洋人臭くって、私には聞きとれないことがよくあります。そうして彼女は、ときどき私を西洋流に「ジョージ」と呼びます。
これで私たち夫婦の記録は終りとします。これを読んで、馬鹿々々ばかばかしいと思う人は笑って下さい。教訓になると思う人は、いい見せしめにして下さい。私自身は、ナオミにれているのですから、どう思われても仕方がありません。
ナオミは今年二十三で私は三十六になります。