生霊(いきりょう)


 松久三十郎は人も知る春陽会の驥足きそくである。
 脚絆に草鞋わらじがけという実誼じつぎなりで一年の半分は山旅ばかりしているので、画壇では「股旅の三十郎」という綽名あだなをつけている。
 飛騨の唐谷からたにの奥に、谷にのぞんだ大きな栃の木があって、満開のころになると幾千とも数えきれない淡紅色の花をつけ、それに朝日の光がさしかかると、この世のものとも思われないほど美しいという。それを見るために出かけて行った。
 東京を出たのは五月だったが、木曾福島で長逗留をし、秋風の声におどろいて、ようやく木曾川を西へ渡った。高山の月を眺めてから富山へぬけ、能登の和倉わくらで秋ざれの日本海の海の色を見るつもりだった。
 六廏越むんまやごえをし、荻町おぎのまちへ着いたのは、ちょうど旧暦のお盆の前の日だった。


 てらてらに黒光くろびかりした商人宿あきんどやど上框あがりがまちに腰をおろすと、綿入の袖無を着た松助まつすけの名工柿右衛門にそっくりのお爺さんが律義に這い出してきて、三十郎の顔をひと目見ると、
貴方おこと弥之やのさんではござんしないか」
 と魂消たまげたような声で叫んだ。
 ひと抱えもあるような太い梁がわたった煤けた天井に、行灯あんどんやら乾菜ひばやら古洋灯ランプやら、さまざまなものをごたくさとつるし、薄暗い土間の竈の前でむじなが化けたようなちんまりした小娘が背中を丸くして割木を吹いている。
 いや、私は東京から来た旅のものだと三十郎が言ったがそれでも疑念が晴れないふうで、
「これはこれ、旅のお方でござんしたか。……あまりにも弥之さんに似た眉面まゆつらつきでござるゆえ、なにやくれやと無礼ぶらいをいたしました。それにしても……」
 と、飽かずというぐあいに眺めわたした。
 足を洗って、框からいきなり広い段梯子をあがると、谷に向いたのきの深い座敷だった。洋灯ランプの光で夕食をすましてぼんやりしていると、小娘があがって来て、この先の川隈で盆踊をおどっているから見に行ったらどうだと言った。
 山曲やまたわのありふれた盆踊を見たって面白いこともないのだが、所在がないので、では、行って来ようかと前壺のゆるんだ棕梠しゅろの鼻緒の古下駄を曳きずりながら宿を出た。
 ※(「ころもへん+施のつくり」、第3水準1-91-72)ふきの厚い大名縞の褞袍どてら弁慶のしたうまを重ね、妹背山いもせやまの漁師鱶七のように横柄に着膨れて谷川に沿った一本道を歩いて行ったが、どこまで行っても山の斜面なぞえと早瀬の音。ときたま、鵺鳥ぬえどりがツエーッと鳴いて通るばかり。
 いい加減歩いているうちに蝮をつくっていた足の拇指がかったるくなって来たので、歩くのをやめにして川股の洲になったところへ降り、ごろごろ石の瀬に仕掛けた川鱒取の竹籠の中をのぞいていると、川原からいきなり立ちあがった向う岸の斜面の方から、なんとかやアの、どうとかさアと杣引そまひき音頭のような歌声が聞えてきた。
 いくら月がいいからといっても、お盆前の十三日に杣木そまぎをひくやつはない。夜をこめてこっそり官木を間引くなんてこともありそうだが、いくらはずみがついたからといって、のんきらしく歌拍子をいれる抜作ぬけさくもあるまい。
 川岸からよっぽど高いところまで峻しい岩腹ごうろで、そのほうへ、ずっと石垣を畳んだ段々の焼畑やいばたになっている。
 大鋸おおがのひびきも斧の音もきこえず、馬鈴薯じゃがいも辣薤らっきょうか、葉っぱばかりさやさや揺れているしんとした山岨やまそばの段々畑から派手なような寝ぼけたような歌ごえが聞えてくるというのは、なんといってもだしぬけすぎて納得しにくいのである。
 ごろた石の川洲に中腰になって斜面なぞえの嶺のほうをうかがうと、歌ごえは真向いの段々畑からばかりではなく、額を合せるように八方から迫ったあちらの嶺からもこちらのはざまからも聞えてくる。
 山彦ではない、谷川がひとひねりひねって川隈になった榛木林はんのきばやしの斜面のあたりに、ひときわ調子の高いつんぬけた歌ごえがあって、その声が、ひとくさり前唄をうたうと、峰谷々みねたにだにのちがう声がいちどきに、なんとかさアの、こらさと、拍子をいれる。
 こんな晩に悪ふざけをするのは高山狐か飛騨狸にきまっている。どちらも愛想のいいやつばかりだが、なんといっても狸のほうはほめられたさがいっぱいでやるのだから、夢中になってやりすぎて、つい尻尾をだしてしまう。
 高山の町で自動車ポンプのサイレンの音を聞きおぼえてきて、月のいい晩に得意になって夜っぴてうウうウとやった。
 まるっきり真物ほんものそっくりで、それにはみんな感服したがこんな山奥へ自動車ポンプが来るわけはなし、すぐお里が知れ、誰もかれもが腹をかかえて笑うばかりで真に受けないものだから、気がさしたとみえて三日ばかりでやめてしまった。