新生(しんせい)

 蒸々と熱い日あたりは三人の行く先にあった。牧師が説教台の上で読んだ亡い学友の略伝――四十五年の人の一生――互にそのことを語り合いながら、城下らしい地勢の残ったところについて緩慢なだらかな坂の道を静かに上って行った。
先刻さっき、僕が吾家うちから出掛けて来ると、丁度御濠端おほりばたのところで皆に遭遇でっくわした。僕は棺に随いて会堂までやって行った」
 と言出したのは三人の中でも一番年長としうえな足立であった。
吾儕われわれの組では、最早もう幾人いくたり亡くなってるだろう」
 それを岸本が言うと、足立は例のくわしいことの好きな調子で、
「二十人の卒業生の中が、四人欠けていたんだろう。これで五人目だ」
「まだ誰か死んでやしないか。もっと居ないような気がするぜ」それを言ったのは菅だ。
「この次は誰の番だろう」
 あの足立の串談じょうだんには、菅も岸本も黙ってしまった。しばらく三人は黙って歩いて行った。
「この三人の中じゃ、一番先へ僕がきそうだ」とた足立が笑いながら言出した。
「僕の方が怪しい」岸本はそれを言わずにいられなかった。
「ナニ、君は大丈夫だよ。僕こそ一番先かも知れない」と菅は串談のようにそれを言って笑った。
「ところがネ、僕はマイるものなら、この一二年にマイってしまいそうな気がする……」
 この岸本の言葉は二人の学友には串談とも聞えたか知れないが、彼自身は自分で自分の言ったことを笑えなかった。煙のような風塵かざぼこりが復た恐ろしくやって、彼は口の中がジャリジャリするほど砂を浴びた。
 その日は葬式の帰りがけにもかかわらず菅と二人で足立の家へ押掛けた。
「こうしてそろって来て貰うことは、めったに無い」それを足立が言っていろいろと持成もてなしてくれた。思わず岸本は話し込んで、車夫を門前に待たせて置きながら、日暮頃までも話した。
「皆一緒に学校を出た時分――あの頃は、何か面白そうなことが先の方に吾儕を待っているような気がした。こうしているのが、これが君、人生かねえ」
 言出すつもりもなく岸本はそれを二人の学友の前に言出した。
「そうサ、これが人生だ」と菅は冷静な調子で言った。「僕はそう思うと変な気のすることがある」
「もうすこしどうかいうことは無いものかね」
 と岸本が言うと、足立はそれを引取って、
「そんなに面白いことが有ると思うのが、間違いだよ」
 足立の部屋に菅と集まって見て、岸本はそこにも不思議な沈黙が旧い馴染なじみの三人を支配していることを感じたのであった。それほど隔ての無い仲間同志にあっても、それほど喋舌しゃべったり笑ったりしても、互いにしんが黙っていた。
「どうしてもこのままじゃ、僕には死に切れない」
 岸本はまた、それを言わずにいられなかった。
 これらの談話の記憶、これらの光景の記憶、これらの出来事の記憶、これらの心の経験の記憶――すべては岸本に取って生々しいほど新しかった。何かにつけて彼は自分の一生の危機が近づいたと思わせるような、あるいまわしい予感に脅されるように成った。


 学友の死を思いつづけながら、神田川に添うて足立の家の方から帰って来た車の上も、岸本には忘れがたい記憶の一つとして残っていた。古代の人が言った地水火風というようなことまで、しきりと彼の想像に上って来たのも、あの車の上であった。火か、水か、土か、何かこう迷信に近いほどの熱意をもって生々しく元始的な自然の刺激に触れて見たら、あるいは自分を救うことが出来ようかと考えたのも、あの車の上であった。
 生存の測りがたさ。かつて岸本が妻子を引連れて山を下りようとした頃にこうした重いよどんだものが一生の旅の途中で自分を待受けようとは、どうして思いがけよう。中野の友人にやって来たというような倦怠は、彼にもやって来た。曾て彼の精神を高めたような幾多の美しい生活を送った人達のことも、皆空虚うつろのように成ってしまった。彼はほとほと生活の興味をすら失いかけた。日がな一日わびしい単調な物音が自分の部屋の障子に響いて来たり、果しもないような寂寞せきばくとざされる思いをしたりして、しばらくもう人もたずねず、冷い壁を見つめたまま坐ったきりの人のように成ってしまった。これはそもそも過度な労作の結果か、半生を通してめぐりにめぐった原因の無い憂鬱ゆううつの結果か、それとも母親のない幼い子供等を控えて三年近くの苦艱くかんと戦った結果か、いずれとも彼には言うことが出来なかった。
 中野の友人から貰った手紙のしまいの方には、こんな事も書いてある。
「岸本君、僕はもう黙してい頃であろう。倦怠と懶惰らんだは僕が僕自身にかえるのを待っている。眼も疲れ心も疲れた。ふと花壇のほとりを見やると、白い蝴蝶こちょうがすがれた花壇に咲いた最初の花を探しあてたところである。そしてその蝴蝶も今年になって初めて見た蝴蝶である。僕の好きな山椿やまつばきの花も追々盛りになるであろう。十日ばかり前から山茱黄やまぐみしきみの花が咲いている。いずれも寂しい花である。ことに樒の花は臘梅ろうばいもどきで、韵致いんちの高い花である。その花を見る僕の心は寂しくふるえている」こう結んである。