
映画の普及力とは(えいがのふきゅうりょくとは)
現在の映画はまるで植物のようだ。それは歩かない。こちらが出かけて行かねばならぬ。したがつて我々病人にはまつたく無関係のものだ。 何年かま...
現在の映画はまるで植物のようだ。それは歩かない。こちらが出かけて行かねばならぬ。したがつて我々病人にはまつたく無関係のものだ。 何年かま...
映画のことなら何でもよいから見計いで書けという命令であるが、私は天性頭脳朦朧、言語不明瞭、文章曖昧、挙動不審の人物であるからたちまちはたと...
母は明治八年生れ。三男二女をもうけて、僕はその二男に当る。他の兄妹は、それぞれ嫁をもらい、嫁にゆき、残った母と僕との生活が始まってもう二十...
幼少のころ、高知(こうち)の城下から東に五六里離れた親類の何かの饗宴(きょうえん)[#「饗宴」は底本では「餐宴」]に招かれ、泊まりがけの訪...
日本の活動写真界の益々進歩隆盛に赴(おもむ)いて来るのは、私のような大の活動写真好きにとっては誠に喜ばしい事である。私は日本製のものは嫌い...
だれかが私に映画界の七不思議を選定してみないかといったら、私は即座に四社連盟をあげる。そしてあとの六つはだれか他の人に考えてもらう。 四...
映画における音楽の位置をうんぬんするとき、だれしも口をそろえて重大だという。 なぜ重大なのか。どういうふうに重大なのか。だれもそれについ...
すでにある芸術を政治が利用して有効に役立てるということはいくらも例のあることであるが、政治の必要から新たにある種の芸術を生み出し、しかも短...
寝台の上で、何を思いわずろうてみてもしようがないが、このたびの改革案が発表されたときは、やはり強くなぐられたような気がした。自分一個の不安...
平安神宮の広場は暑かつた。紙の旗を一本ずつ持つた我々は脱帽してそこに整列していた。日光は照りつけ汗がワイシャツの下からにきにきと湧いた。前...